枡形山は、神奈川県川崎市の生田緑地の中にある。
当ブログのテーマである世田谷のスポットではないが、とても印象に残る場所だったので、書き留めておく。
生田緑地は、川崎市の多摩区から宮前区にかけて広がる、自然豊かな総合公園。
約180万㎡の広大な敷地に、自然探索路、プラネタリウムのある科学館、日本民家園、岡本太郎美術館、ホタルの里などが点在しており、その北寄りの一角に枡形山がある。
枡形山は、四方を崖に囲まれ、山頂がテーブル状になっていて、その名の通り枡の形をしている。
頂上の海抜はわずか84m。
登山道には階段も整備されているし、小さな子供でも登れる低山だ。
ただ、少し急な箇所もあるため、お年寄りなどにはキツいかもしれない。
山頂に着いて「枡形門」をくぐると、そこは広場になっている。
ささやかな遊具、トイレ、自販機があり、子供が遊んでいた。
桜の樹が植えられておいて、春はお花見スポットとなる。
鎌倉時代から戦国時代初めにかけて、枡形山には枡形城があった。
四方を崖に囲まれた地は天然の要塞となり、北を流れる多摩川を堀と見立てた山城は、鎌倉防衛の北の前線となった。
鎌倉時代の初めに、源頼朝の重臣として活躍した稲毛三郎重成が、ここを居城とする。
稲毛氏が滅びた跡も、枡形城は戦場の拠点として使われ、北条早雲や今川氏親など、戦国時代の幕開けに関わる武将たちに利用された。
残念ながら、今はもう城の遺構は残っておらず、尾根筋に堀切の跡が確認されているだけである。
広場の奥に、楼閣風の建物立っている。
これが枡形山展望台だ。
1階部分が、なぜか能の舞台になっている。
エレベータか階段で最上階へ上がると、ぐるっと360°建物を囲むバルコニーがあり、そこが展望台になっている。
北には、多摩の街。
北東には、都心のビル群。
南東に広がる生田緑地の森。その遥か向こうに横浜のビル群が見える。
南西には、丹沢と富士山。
視界が良ければ、北に北関東の山々、南東に房総半島も見えるそうだ。
バルコニーの手すりの支柱に、方角を示す十二支の動物像がついていた。
展望台にぴったりのオブジェではないか。












関東平野の眺望と十二支像を堪能していたら、いつの間にか日が傾き、夕刻に。
東方の川崎から都心にかけての市街地に、ぽつりぽつりと灯りが灯り始めた。
灯りはだんだん増えていき、寂しかった夕暮れの街が、徐々に華やかになっていく。
遠くには、冬カラーの暖色系の東京タワーが大気に揺れて煌めき、宝石のようだ。
西方には、東の市街地が華やかさを増していくのとは対照的に、闇に沈んでいく生田緑地の森があった。
闇は刻一刻と深くなっていく。
夜になれば、この森の中をタヌキが走り回るのだろうか。
中央奥に見えているのは武蔵小杉のビル群
夕暮れの空が紫のグラデーションに染まる。
そこに浮かび上がる、十二支の動物たちのシルエット。
東の空には、大きな月も登ってきた。
時は11月下旬。
冷える時期だったにもかかわらず、展望台にはけっこう人が来ていた。
みんな、夜景を狙って来たわけではなく、夕方まで居たらたまたまマジックアワーが始まって、そのまま見入ってしまったという感じだ。
なぜこんなマイナーな所に来たのか分からない若いカップルもいて、夜景に感動していた。
枡形山展望台から望む、この黄昏時の夜景は、実は晩秋〜冬の時期にしか見ることができない。
枡形山展望台は、一年を通じて17時に閉館してしまう。
春〜初秋の17時頃は、まだ明るくて、夜景を見ることができないのだ。
17時より前に日が沈み、それからしばらく夜景を楽しむとすると、夜景の見頃は11月〜1月となる。
ただし、この時期、枡形山山頂に夕方までいる場合は注意が必要だ。
登山道には灯りが無く、帰り道は真っ暗。
スマホのライトで道を照らしながら下山するはめになった。
何か灯りになるものを持って、怖がりの人は誰かと一緒に来た方がよいでしょう。
春はうららかなお花見の場となる枡形山。
その春をまだ先に待つ晩秋の夕方に、この時期にしか見られない薄明の夜景を楽しむのもよいものです。